2015年2月17日
特別寄稿:吉田航(月夜と少年)
芸術企画室「月夜と少年」の吉田航さんが、アルバム『生活』に文章を寄せて下さいました。特別寄稿としてこちらでご紹介させていただきます。
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園部くんの新しいアルバム「生活」がリリースされた。リリースにあたって、何かコメントが欲しいと以前から頼まれていたのだけど、この思いをどのように伝えるべきか迷い、そして結局リリース日も過ぎてしまった。このアルバムのサンプル盤を事前にもらって、本当に繰り返し繰り返し聴いている。それでも、どうもその何度も聴きたくなる、この気持ちを上手く伝える言葉が出てこずにこんな事になってしまった。こんな事を、普通アルバムを推薦するこの場に書くべきではないかもしれないのだけど、でも、敢えてここに書いておきたい。今の気持ちを正直に言えば、この文章を読んで誰かがこのCDを手に取ろうが、手に取らなかろうがどうでも良いと思っている。
ここ数年ずっと思って来た事だけど、音楽の在り方は変わったのだと、懐古の気持ちと未来への希望とが、ないまぜになった、深い感慨をもってこのCDを何度も聴いている。そして、もう過去の音楽シーンのようなものは終わったと、そして僕らは新しい時代を生きていると確信した。
これまで、音楽は特別な場所、特別な時間に鳴らされる事で注目を集めてきた。ライブハウスやコンサートホールはもちろん、録音の為のとても高価なレコーディング・スタジオとか。でも、今はコンサートはカフェだってギャラリーだって、お寺でだって何処ででも行われる。録音も、パソコンとマイクがあればどこででもできるし、そもそも、しっかりとまとまったアルバムとしての作品なんか作らなくたって、面白い音楽をちょっと演奏して、それをYouTube で流せば明日にだって世界中数万人の人に音楽を届ける事が出来るかもしれない。音楽はあらゆる所に溢れるようになった。そして音楽は特別なものではなくなった。かつて僕が音楽に見た夢はもう何処にも無いと認める事からしか、新たな音楽の持ちえる可能性も見えて来ないんじゃないだろうか。
僕は1980年生まれで、園部くんや、今回このアルバムに参加している他のミュージシャン達もほぼ同年代だと言って良いと思う。彼らがこれまでにどんな音楽を愛してきたのか、もしくは横目に見ながら通り過ぎてきたのか、それが手にとるように分かる。フィッシュマンズ、クラムボン、キセル、、、もちろんそんなのだけではなくて、アニデフランコでもアートリンゼイでもトータスでもビョークでも結局は何だって良いんだけど、彼らの聴いてきたであろう音楽と、僕の聴いてきた音楽との間でリンクする部分が手に取るように分かると思った。そして、それは単純に何か嬉しい感覚だったのだ。あぁ、僕らは同じ時代を生きてきたんだと、単純かもしれないけど、そういう共感が僕にこのCDをリピートさせたのだと思う。
「生活」と題されている事からも分かるけど、この一枚のCDには園部信教という一人の人間の生きる全てが詰まっていた。一人きりの夜に不安になったり、仲間が隣に居てくれる事をとても心強く思ったり、とにかく、生きているんだなっていう実感を与えてくれた。彼は、かつての天才的な音楽家達がそうしたように、音楽に生を捧げるのではなく、生きる事と共にある音楽を選んだのだなと思った。僕が生きている限りは、このアルバムの中で彼が仲間と共に鳴らしたような音楽を、これからもずっと鳴らし続けてくれているんだと、そんな風に思える音楽と出会えた事を、とても感謝している。当たり前だけど、生活とは、僕らが生きている限り誰のもとにも在るし、音楽もそこに必ず、在る。
吉田航(月夜と少年)